あざなえる禍福の黄色いリボン

桜田淳子にまつわる個人的なもろもろを垂れ流すページ

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1973年編のあとがき

「青い鳥の謎」から続く73年編、ようやく脱稿しました。長かった…
…って、まだデビューした年の、しかも「存在感」という観点に絞って、この有様。先は長いぜ(苦笑
ずっと編年体でやっていくつもりはないのですが、75年は書かないわけにはいかないでしょうね。あと、77年や80年は彼女自身の大きな節目の年だし、どうすべきか…うーん。

しかし、日テレ×ナベプロ戦争ですが、そんなことになっていたとは、当時の私にはまるでわからなかったです(笑
ただ、紅白ベストテンが、いっとき妙に寂しくなって「何だかへんてこりんだなぁ」とか思った記憶があるのですが、それがその時だったかも知れません。

あと、この件でソースを色々とあたってみましたが、情報が妙に錯綜していますね。
例えば、阿久悠の「夢を食った男たち」でも触れられてますけど、時系列があいまいで、この戦争がスタ誕を生んだ…としか読めない書き方となってます。

しかし、事実としては、71年のスタ誕開始時のアシスタントはナベプロのタレントだそうだし、ゲストとしてもナベプロ歌手は何度となく出演していたわけで、73年より前には特に目立った対立はしていないはずなんです。

彼は、業界全体がナベプロ派とアンチ派に二分されていたかのようにも述べてますけど、実際には「ナベプロの顔色を積極的に伺う派」と「もうちょっと好き勝手に作りたい派」程度だったのかも。

ところで、私がスタ誕トリオの印象が当時から強いのは、私の出身地方のテレビ局が日テレ系列だったのが大きいのかも知れません。あの頃の紅白ベストテンでは、誰か一人は必ず出ているといった感じだったかと。
逆に私は、レコード大賞の模様を、実はリアルタイムでは見ていません。私の田舎ではTBSの系列局はなかったので。

そうそう、このポストを、35年後のちょうどこの日にアップしたのは、ただの成り行きです。年内には絶対…と思っただけで、決して意図したものではありません(笑

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