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あざなえる禍福の黄色いリボン

桜田淳子にまつわる個人的なもろもろを垂れ流すページ

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アイドルの保守本流/1975年編その3

日本のポップカルチャー専門誌「Hotwax」が刊行した「歌謡曲名曲名盤ガイド 1970's」の「桜田淳子」の見出しには、こうある。
正統派アイドルの保守本流
言い得て妙だ。異論をはさむ人はほとんどいないと思う。

ただ、この「正統派」という言葉は、同類が複数存在したことを意味する。
実際、彼女以前のアイドルの多く…南沙織、天地真理、麻丘めぐみ、アグネス・チャンら…は、正統派と位置づけられるだろう。

いや、そもそも天地真理と南沙織が、その後に続く「アイドル」というジャンルを創始したと私は認識している。彼女らの成功を受け、曲調やキャラクター性を多大に踏襲した一群を後になって見返すと、「正統派」と映るということだと思う。
そして、「保守本流」の桜田淳子も、紛れもなくその流れでデビューした一人というわけだ。

ここで一つの試みとして、女性アイドル歌手の年毎のレコード売上数を、正統派とそれ以外とに分けて円グラフで比較してみたい。

円グラフとなると、母集団の取り方が問題となる。
対象の「アイドル」という言葉自体、そのニュアンスは70年代を通じて変化してきたし、人により解釈も様々だろうが、とりあえず私個人の指針として、「若々しいビジュアルをセールスポイントにし、ティーンエイジャーを主要ターゲットとする、芸能界のスターシステム上のポップス系歌手」とする。

ただ、グラフの対象者に、その年のアイドルと思しき存在を全て含めるのはほぼ不可能なので、以下の基準を設けた。

【女性ソロ歌手に限定】
グラフ化の主眼は、正統派と非正統派との比較にある。この正統派を「天地真理タイプ」と言い換えてみれば、「真理タイプとそれ以外」といった二分法に、アイドルグループはそもそもなじまない様に思える。

【1971年6月以降にレコードデビュー】
南沙織と天地真理の影響下にないとアイドルとは呼びにくいとの個人的見解による。

【演歌系、フォーク・ニューミュージック系を除く】
ただし、例外的に森昌子を加えた。彼女は、デビューして数年間はまさしく、若々しいビジュアルをセールスポイントにしていたし、何より「スター誕生」というアイドルシステムを象徴する存在でもあったからである。

【その年度に、次のいずれかの成績を残したもの】
a.月刊明星の年間人気投票の紅組10位以内
b.月刊明星付録ヤングソングの人気投票ベスト20位以内
c.マルベル堂プロマイド女性歌手部門で10位以内
全て「ティーンエイジャーを主要ターゲット」としていたことへの数字的な裏付けである。
(ヤングソングのデータは、「平凡・明星/今月のベスト曲」というページを参考にさせていただいた。深く感謝の意を表したい)

この基準でアイドルを抽出した上で、正統派とそれ以外を仕分けするわけだが、「天地真理タイプ」では漠然としすぎるので、判断の指針を以下に挙げる。異論もあるだろうが、あくまで指針であって、定義とするつもりはないのでご理解いただきたい。

◎伝統的歌謡界の作詞作曲家による楽曲が中心であること
◎健康的または清純な可愛らしさを、ビジュアル・楽曲の両方で強調していること
◎隣のお嬢さん的な親しみやすさを持つこと
◎水着グラビアの仕事を定常的に行っていること
◎本業を歌手として、映画やドラマ、バラエティなどマルチに活躍していること

以上。
これらの判定については、後日あらためて詳述したいと考えている。

グラフのレコード売上数は、オリコンによるシングル曲のセールスを、発売日基準で計上したもの。そのため、複数年にわたるものも発売年度に集約されるし、チャート100位以内に入っていないタイトルはカウントされない。
また、年度期首は11月1日とする(1975年度は74年11月1日から75年10月31日まで)。

この「1975年編」は、桜田淳子が最もアイドルらしかった、「はじめての出来事」から中島みゆき楽曲の前までの期間…つまり、75~77年を対象と考えているが、「正統派」をテーマとする以上、それ以前からの推移を見る必要があるので、72年から77年までの6年分をグラフ化した。
名前が黒文字が正統派、白抜き文字が正統派以外である。また、グラフの面積は売上枚数と対応している。
(画像はサムネイルであり、クリックで拡大する)

idol_oricon_pie_chart72-74.png
idol_oricon_pie_chart75-77.png

この推移を、私の記憶を元に解説してみる。

1972年の時点ではまだアイドル市場は一部の独占状態だが、翌73年には急拡大する。それを担ったのは、正統派…つまり天地真理とそのフォロワー(当時の一般的な言い方として「カワイコちゃん歌手」)たちだ。天地真理の総合的なトップはゆるがないにせよ、他の正統派アイドルたちも、単体のセールスでは引けをとらない活躍を見せていた。

そういった動向の中、芸能事務所は若い娘のスカウトに奔走しただろうし、また、スタ誕の成功によりオーディション番組が次々に生まれたこともあって、アイドルとしてデビューする絶対数は年々拡大していく。

ところが、正統的カワイコちゃん歌手ブームは、グラフで判るように、実は74年には既に下り坂となっていたのだ。
必然的に、差別化がより重要となる。独自のキャラクターを確立した上でそれが一般に受け入れられない限り、成功は難しくなっていく。本来なら堂々たる正統派として次代のトップを担うべき人々…例えば岡田奈々、片平なぎさなど…が、生憎とそうはならなかった。
顕著な成績を残しえた正統派は、実際には71年から73年にかけてデビューした者に限られる。奇しくも、これも約3年だ。

74年の山口百恵を嚆矢として、オリジナルの立ち位置を築くのに成功したアイドルによって市場自体は隆盛を保つが、正統派は主流ではなくなっていく。
そんな大きな流れの中の75年、桜田淳子は再ブレイクした。結果的に、正統派という古典的なアイドル群の中で、ほぼ孤軍奮闘の形となってしまったのだ。

ただ、このレコード売上というものは、熱心な支持者の数の反映だ。
70年代のこの時期、アイドルは歌手の一形態と言えた。ならば、活躍の基準にレコードセールスを充てるのは妥当と思うが、それはまた、特定のファンおよび音楽愛好者の動向によって大きく左右されるものでもある。世間一般の認知度に即していたとまでは言えないだろう。

そういった、緩やかな関心を測るのに相応しいものはないかと、色々と漁った資料の一つに、「大宅壮一文庫雑誌記事索引総目録 人名編」がある。

大宅壮一文庫は「雑誌の図書館」として知られる。雑誌は世相を写す鏡だという故大宅壮一の考えの下、様々な雑誌が集められ、そして、その記事をインデックス化したものが目録として出版されている。
そこで、目録の記事数をカウントすれば…と考えた。
しかし、実際に調べてみると、特別なイベントやスキャンダルがあると、その数が跳ね上がってしまう(女性誌の集中爆撃記事!)。事件性の反映としては十分に意味があるが、今回の趣旨にはそぐわない。

しかし、対象を週刊明星と週刊平凡に限定すれば、それらしいものになると思いついた。
理由として、この二誌は、特定の若年読者に拠った月刊明星とは違い、当時の飲食店や待合などで日常的に目にされた、最も一般的な芸能誌であり、また、芸能界の広報誌的位置にあって、スキャンダルなどに偏重せず、芸能人の恒常的な活動を広く扱っていたからだ。

ただし、留意すべき点がある。
大宅壮一文庫目録に掲載されたこの二誌の記事は、漏れも少なからずあって、十分なサンプリングと言うにはおぼつかない。

例えば、今回のデータ化作業を通して判ったのだが、70年代前半よりも、その後半の方が、目録記載の記事数が全般的に増加している。しかし、実際には、週刊明星と週刊平凡のページ数がこの間に大きく増えた事実はない。
想像だが、75年前後に、芸能記事をもう少し詳細にインデックス化しようという判断がなされたのだと思う。つまり、一定の基準に従って正確に採取されていたとはとても言えないのだ。

そのため、時系列の変化を見るには適さないし、数字そのものの信頼性は低いけれども、「同一期間における基準の不確からしさは、記事(個人名)によらず一定」と仮定し、同年の個人別記事数の相対は、ある程度は参考になりうると判断した。
(この辺りの検証も、おって別記事としてポストする予定である)

以下、1975年から1977年までの、「大宅壮一文庫雑誌記事索引総目録」における、週刊明星と週刊平凡の記事採取数の個人別グラフである。

対象者は、その年度の掲載数5位までの芸能人に、上記の女性アイドル円グラフ中、売上5位までを加えた(重複による繰り上げはなし)。また、桜田淳子は常に左端に配置した。
ここでの年度は、雑誌の日付表記による。例えば、76年1月4日号は75年中の発売であるが76年として扱う。連載記事の場合はトータルで一つとする。

大宅グラフ

ご覧いただければ判るように、桜田淳子は、75~77年の期間、アイドル歌手という枠に留まらず、全芸能人中でも最多レベルの記事数となっている。

また、今回のサンプルは芸能雑誌だが、当時の芸能番組の出演数をカウントすることが出来たならば、ほぼ同じ結果になるだろうと私は確信する。

1973年編で、レコードセールス以上に「わたしの青い鳥」の認知度が高かったことを述べた。
この75~77年においても、桜田淳子はセールスや人気投票でトップクラスだが、彼女の一般的な存在感は、その数字以上に大きなものだったと言っていいだろう。

その理由は、正統派アイドルがマイナーになったがゆえ、逆説的に、それが彼女を際立たせる特異性となってしまったからではないだろうか。

例えば、彼女は正月特番の出演本数の最多記録保持者だったそうだ。当時、若いタレントを集める企画に桜田淳子を外すことは、むしろ不自然な印象すらあったと思う。
それはつまり、「桜田淳子」というパーソナリティが求められたというより、正統派少女スターの代表として、芸能番組・記事には不可欠な「賑やかし」としての、インフラ的需要だったと私は考えている。

勿論、これは芸能人として大成功だろう。
しかし同時に、本人の意思や事務所のコントロールを超えた、大きすぎるパブリック・イメージが付随してしまい、結果的に、彼女を追い詰める要因になったのではないだろうか。

例えば、一般に桜田淳子は、当時のヤングタレントの中で、最も「芸能界」を体現する様なイメージがあった。しかし、淳子ファンならば、彼女が芸能界というムラにはついぞ馴染めなかったことを知っている。

そして、そのファンにとっても、日本の日常の一部の様だったあの頃と、忘却に霞む現在との、あまりに大きな存在感のギャップに思いを巡らせば、心中穏やかではいられなくなることもままあるだろう。

幾ばくかの人が未だに抱える宙ぶらりんな思い…その根源には、多分、栄光の1975年が横たわっている。

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