あざなえる禍福の黄色いリボン

桜田淳子にまつわる個人的なもろもろを垂れ流すページ

2009年02月 | ARCHIVE-SELECT | 2009年04月

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桜咲くまでには...

もうすっかり春めいてきましたね。

またぞろ更新滞らせてしまいました。
忙しかったのと、体調崩したのとでぐずぐずしてるうちに、すっかりサボり癖が…
申し訳ありません。

桜田淳子論1975年編は、三部構成になる予定です。
一つめはほぼ出来ていますが、二つめの目処がついてからポストしようと考えておりまして、今度の連休中にはなんとか…

最近は、古本屋を見かけたらとりあえず入って、関連資料を物色するのが習慣になってます。
この前、オリコンのチャート本(67年-87年版)を見つけました。ネットの古本相場でもけっこう高値のものですが、かなり安く手に入って嬉しい(笑

その本で浅田美代子さんの売上数字が判ったので、「1973年編 その3」に訂正を加えました。

ところで、ウィキペディアには年度ごとの流行音楽の専用ページがありますね。
1975年の音楽」の項の文中、アーティスト別の「年間売上トップ10」データのソースは何か、ご存知の方がいらしたらご教授いただけないでしょうか?

多分、オリコンが元と思うのですが、続けて書かれている「シングル年間TOP50」にはきちんと「集計会社 オリコン」とあるのに、前述のデータには表記がありません。
ゴールドディスク大賞のアーティスト・オブ・ザ・イヤーにも相当しそうな重要な数字なのに、出所不明なのは気持ち的にどうにも座りが悪くて仕方ないです。

色々とよろしくお願いします。
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| 雑記 | 23:38 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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二度目のデビュー/1975年編その1

1975年は、桜田淳子が最も商業的成功を収めた年である。

年間レコード売上 女性1位(総合2位)
月刊明星人気投票 女性1位(総合得票数1位)
マルベル堂プロマイド売上 女性1位(総合2位)
…文句なく、この年の女性アイドルの頂点にいた。

ところが、その前年の成績は、あまり芳しいものではない。

オリコンのシングルセールスを挙げる。
73年11月「花物語」23.7万枚
74年03月「三色すみれ」18.6万枚
74年05月「黄色いリボン」16.5万枚
74年08月「花占い」12.3万枚

新人賞レース渦中の時期の「花物語」をピークとして、売上はじりじり下がっていた。
流行歌手としては、明確に落ち目だったのだ。

流行りものは、いったん潮目が逆になると急速に色あせて見える。当時は情報伝達速度が遅く、今よりもその動きは緩慢だったろうが、若者向け音楽は変化が激しい時代であり、その点ではよりシビアだったとも言える。
一般的に、下り坂となった対象に抱く「終わった感」は、相当に強かったと思う。

私自身の経験を語ると、74年12月に「はじめての出来事」を聴いたときから桜田淳子に惹かれだしたわけだが、当初はそのことを人に言えなかった。
まだ中一だったし、アイドルに抵抗があったわけではない。私の中に「いまさら桜田淳子か」という感覚があって、恥ずかしく思えたからだ。

しかし、その「はじめての…」はみるみるチャートを駆け上がった。「花物語」ではオリコンシングルのトップ10に入るのに一ヶ月を要したのに、こちらは発売翌週でランクインしている。
そしてここより、桜田淳子の快進撃が始まった。

74年12月「はじめての出来事」52.7万枚
75年03月「ひとり歩き」34.1万枚
75年06月「十七の夏」40.4万枚

…賞味期限が過ぎたと思われていたはずの彼女が、なぜいきなり大ヒットを連発することができたのか。

まず第一に挙がられるのはルックスの変化だろう。
ここで、彼女のデビュー当時と75年の写真を比べてみたい。

比較

いかがだろうか。
たかだか2年でこれほど変わるものかと、率直に思う。全体のイメージは、純朴そうな少女から思春期の娘へと華麗に変身している。

しかも、具象的な変化の多く…顔付きがほっそりとしたこと、髪型がショートからセミロングになったことなど…は、74年後半、わずか半年の間に起きたことだ。
ステージ衣装も、それまでほとんどミニスカートだったのが、「はじめての出来事」では一転、ドレッシーな長めのワンピースになった。

さらには、楽曲の力。

アイドルの人気は、ルックスだけに左右されるわけでは決してない。シングル曲の出来は大変に重要だ。
自分に照らしても、「はじめての出来事」と「ひとり歩き」がなければ、これほどまでに彼女に入れ込むことはなかったと、はっきり断言できる。
「はじめての出来事」のメロディーは、森田公一の仕事の中でも出色の一つだと私は思うし、 阿久悠の歌詞は、それまでの恋を夢見るようなものではなく、現在進行形の日常的な恋愛を描いている。

そう、あらゆる点でそれまでの桜田淳子とは違っていた。

とはいえ、容貌の変化はむろん漸進的なものだし、衣装や曲を含めても、例えば山本リンダほどの強烈なイメージチェンジではない。
しかし、74年のジリ貧期間の存在が逆に功を奏したかも知れない。
一般の間で存在感が薄れていたのが、キャッチーな「はじめての出来事」で再び注目度が増し、多くの人が彼女の変貌に強い印象を覚え、それがまたこの曲のヒットに繋がる…といった相乗効果があったと推測する。

さらには、非常に大きな外的要因がある。あの天地真理の時代の終焉である。
さしもの彼女の人気も、74年にはかなり翳りを見せていた。
また、ほぼ時を同じくして、南沙織、麻丘めぐみ、アグネス、浅田美代子ら主流アイドルたちも軒並み下火となりつつあった。

そんな折りに、桜田淳子は新たなイメージを伴って現れた。
アイドルには仮想恋人という側面がある以上、性的な匂いは必要な要素だが、74年以前の彼女はあどけない少女性が強調され、それに関しては希薄ではあった。
ところが「はじめての出来事」から、いきなり花開いた感がある。

75年の桜田淳子は、中学あたりを中心とした若い男性層に、絶大な訴求力があったのは事実だ。
私の周りの話だが、カミングアウトする仲間はクラスに数人いたし、中学の卒業式でのお別れの際、「実はオレも淳子が好きだったんだよ」と打ち明けてきたのも同じくらいいた。

様々な要素が奇跡的にかみ合った結果、桜田淳子はその年、アイドルのポジションを山口百恵と二人でほぼ寡占した。

「少女歌手」だった桜田淳子は、74年12月に「アイドル」として再デビューした……そう捉えた方がしっくりくると私は思っている。
「1975年編その2」では、その裏付けとなる傍証について述べたい。

| メイン記事 | 02:06 | comments:4 | trackbacks:0 | TOP↑

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「1975年編その1」のどうでもいい補足

副題として「テーブルタグ生成ツールのテスト」

1975年編その1、いかがだったでしょうか。
長い時間引っ張ったくせに、実にどうってことない内容で、いつにもまして面白くないでしょ?
その2は、もうちょっとましになると思うのですが、期待は禁物です(笑

ところで、文中で74年の淳子さんを「ジリ貧」と言い切ってますが、明星ヤングソングの月例ベスト20を見る限りにおいては、そうとも言えなかったり。

そのデータ、彼女の初登場した73年6月号から2年間を表にしてみました。
月号表記なので、その約三ヶ月前の実勢データとお考え下さい。元の順位に男女の区別はありませんが、女性順の項を別に設けました。

月号順位女性票数
1973

6

1179,005
71177,025
811710,964
912610,884
1013812,844
1111718,317
1210722,437
197419625,743
27432,009
39530,377
49531,754
57336,181
66334,738
77333,446
86234,905
95335,192
107331,781
117320,607
128320,372
197517321,502
25225,601
35228,937
43131,736
53133,195


75年4月号から女性で1位になっていますが、それは76年3月号までの丸一年間続きます。対応月を三ヶ月前とすると、丁度75年1月~12月となります。やはり75年は彼女の年ですね。

しかし、74年5月号「花物語」の時点で既に女性3位、得票では3万を余裕で超えています。ベリーコアなファン数自体は、デビューからずっと着実に増えていたと言えるのかも知れません。

ただ、興味深いのは、74年11月号にいきなり1万票も減っていること。
でもこれは淳子さんに限らず、百恵さんやアグネスさんら、女性アイドルが総じてガクンと減っているのです。しかし、新御三家の票数には特に変化はありません。
実に不思議な現象です。

以下は推論ですが…
ヤンソンベスト20の投票には専用の応募券が必要でしたが、同時に特集ページの感想など、えらく面倒なアンケートにも答えなければいけませんでした。
しかし、このアンケート、どうも最初はなかったようなのです。多分、74年11月号分から始まったではないかと。
新御三家の女性ファンにとっては、そんなことは何の障害にもならなかったけれど、筆無精な男性にはいきなりハードル上がったと、そう思われるのですが(笑

| メイン記事 | 01:22 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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WBC

いやー、色々な意味でシビれまくりの、凄く面白い試合でした。
世界最高の舞台で、これだけ手に汗握る接戦だったわけですから、後々まで語り継がれる名勝負でしょう。伝説に立ち会えた幸せを噛み締めています。

無論、勤務中だったわけですが、隣の同僚のワンセグが気になって、全然仕事に身に入らず、誰もそれを注意せず(笑

まあ、ここで私が書かずともいい話題ではありますが、ほら、私らの世代ならやっぱりスポーツといえば野球が筆頭だし、それに、原さんは淳子さんとも縁ないわけではないですし。

何はともあれ、代表選手の皆様、お疲れ様&おめでとうございます。

| 雑記 | 00:59 | comments:1 | trackbacks:0 | TOP↑

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アイドル三冠王

1975年編その1」にて、淳子さんはその年、レコード売上、明星人気投票、プロマイド売上の1位と書きました。
今ホットな野球に例えるなら「女性アイドルリーグの三冠王」といった感じですかね。

無論これは、アイドルの状況を反映していそうなデータを、意図的にピックアップしたものです。

この中で、レコード売上はアイドルという枠とは次元の違うデータではあります。
ただ、アイドルは歌手の中でもより産業的な存在ですし、レコードという媒体のマスターゲットは当時も既に若者中心でしたから、その年一番成功したアイドルが売上トップを取れなかったとすれば、それはその程度の存在…という乱暴な言い方もありかも知れません。

それとは別に、例えば八代亜紀さんがいかに中年男性層に人気があったかは、上記の範疇では全然うかがい知れません。
また、購買層が違う雑誌…例えば「TVガイド」などの人気投票では、淳子さんはまったくふるいません。

ティーン向けアイドルというカテゴリに限定したものであることを念頭において、以下をご覧下さい。
明星の人気投票が始まった72年から、昭和でのランキング最後である88年までの、男女別各部門1位の表です。

女性
レコード明星プロマイド
1972小柳ルミ子天地真理南沙織
1973天地真理天地真理天地真理
1974山口百恵山口百恵アグネス・チャン
1975桜田淳子桜田淳子桜田淳子
1976太田裕美山口百恵山口百恵
1977ピンク・レディー山口百恵志穂美悦子
1978ピンク・レディー山口百恵ピンク・レディー
1979山口百恵山口百恵大場久美子
1980松田聖子石野真子松田聖子
1981松田聖子松田聖子松田聖子
1982松田聖子松田聖子薬師丸ひろ子
1983中森明菜松田聖子中森明菜
1984中森明菜小泉今日子菊池桃子
1985中森明菜クラッシュギャルズ
1986中森明菜本田美奈子
1987中森明菜中山美穂
1988中森明菜南野陽子


男性
レコード明星プロマイド
1972よしだたくろう野口五郎森田健作
1973ぴんからトリオ郷ひろみ郷ひろみ
1974殿さまキングス郷ひろみ森田健作
1975DTBB郷ひろみ西城秀樹
1976小椋佳郷ひろみ西城秀樹
1977清水健太郎郷ひろみ郷ひろみ
1978世良公則&ツイスト郷ひろみ川崎麻世
1979ゴダイゴ郷ひろみ川崎麻世
1980クリスタルキング近藤真彦近藤真彦
1981近藤真彦田原俊彦近藤真彦
1982近藤真彦田原俊彦田原俊彦
1983近藤真彦田原俊彦近藤真彦
1984チェッカーズ田原俊彦チェッカーズ
1985安全地帯チェッカーズ
1986KUWATA BAND少年隊
1987少年隊少年隊
1988光GENJI男闘呼組


「レコード」はwikipediaの「19xx年の音楽」の項の「年間売上トップ10」より。
「明星」は年一回の男女別人気投票。
「プロマイド」はマルベル堂のランキング。

レコードとプロマイドは年間累積ですが、明星は夏季数ヶ月間だけの集計。
85~88年の明星のデータは、手持ちの資料やネットでは見つけられませんでした。
二冠は黄色、三冠はオレンジにしてあります。
以下、煩雑になるので敬称は略します。

三冠は、72年天地真理、75年桜田淳子、80年松田聖子。また、87年に少年隊が該当している可能性があります。
あの山口百恵やPLですら二冠止まり。アイドル市場の占有率という観点でいけば、三冠は際立つ記録と言えるでしょう。

男性73年のレコード1位はぴんからトリオですが、次にGARO、郷ひろみ…と続きます。アイドルとしては郷ひろみがその年のレコードトップなわけで、準三冠と言っていいかも。

明星の投票時期が年度末ならば、他との相関もより高まったと思います。もしそうならば、80年の明星の結果は恐らく松田聖子となり、彼女は二年連続三冠という大偉業を達成していた気がします。

郷ひろみの明星V7とか、中森明菜のレコードV6とかもすごいですね。
女性のスタ誕出身者が占める割合もなかなかです。

個人的には、女性72年の結果がとてもいい感じ。新三人娘がきれいに分けあってるんですよね。
それと、75、76年と野口五郎が男性レコード2位。新御三家がそれぞれ得意部門に別れてる感じで面白いです。

81年から84年にかけてのマッチとトシちゃんのデッドヒートもすさまじいですね。打撃タイトルを分け合ったONみたい。

ところで、76年のレコード売上が不思議です。
どういう集計基準なら太田裕美>山口百恵になるのか判らないのです。

対象期間とおぼしきシングルのオリコン売上データを記します。

太田裕美
75年12月「木綿のハンカチーフ」86.7万枚
76年06月「赤いハイヒール」48.7万枚
76年09月「最後の一葉」30.6万枚
計 166.0万枚

山口百恵
75年12月「白い約束」35.0万枚
76年03月「愛に走って」46.5万枚
76年06月「横須賀ストーリー」66.1万枚
76年09月「パールカラーにゆれて」47.0万枚
76年11月「赤い衝撃」50.4万枚
計 245万枚

どうですか?相当な大差で百恵さんが勝ってますよね。ただ、この数字は77年以降の売上も入っているのは確かです。
オリコン週間シングルチャート上位20位までの売上を記したページを見つけましたので、76年の合計を出してみました。

太田裕美 143.8万
山口百恵 195.5万

多少は縮まったとはいえ、やはり大差があります。21位以下はカウントしていないとはいえ、実数はそう大きく乖離してはいないはずですし、何より両者とも条件は一緒なわけで。

アルバムを含むデータ?
…ならば、74、75年に井上陽水の名が出てこないはずがありません。
カセットの売上?
…それはアルバムに準じるものでしょう。

そもそも、オリコンとは別種のデータかも知れませんが、売上の絶対数は変わったとしても、相対的なランキングが変わるとも思えないのです。
あと考えられるのは、コンパクト盤(17cm33回転)の分とか?

ご存知の方がいらしたらお教え下さい。

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