あざなえる禍福の黄色いリボン

桜田淳子にまつわる個人的なもろもろを垂れ流すページ

2008年11月 | ARCHIVE-SELECT | 2009年01月

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山口百恵

「桜田淳子」を語る以上、どうしても避けて通れない女性について、今回はほんの触りだけ書いてみます。

私が小学生の頃、デビュー当時の淳子さんを好きではなかったことは何度も書きましたが、それじゃ山口百恵さんについてはどうだったかというと、実は……もっと嫌いでした(苦笑

率直に言います。
「青い果実」から始まる一連の「青い性路線」は、いかにも「歌わされてる」感ありありに思えたし、歌わせてる方の、思わせぶりな感じで売ろうという魂胆が見え見えでしたし、また、それにまんまと乗せられてる、自分より年上の人達が愚かしく思えて仕方なかったのです。
…いかにも鼻持ちならないガキですね(苦笑
人気商売ですから媚びてなんぼ。ただ、子供らしい潔癖さから、その狙い目があまりにあざとく感じてしまったのだと思います。

でも、そんなネガティヴな思い込みは、ある曲の登場で一挙に吹き飛んでしまいました。
76年夏の「横須賀ストーリー」。

歌詞、メロディー、編曲、どれをとっても傑作ですけど、歌唱そのものにも強く惹かれました。
心が離れ体だけを求めるかに見える男への未練を歌った曲ですが、必ずしも相手は恋人とは限らないような深み、齢18に満たないはずなのに人生の深奥を覗かせるような凄みを、ひしひしと感じたのです。

何しろタイトルがタイトルですから、自伝的な部分があるのではないかと、勝手にイメージしていた気もします。
ただ、その時点で、彼女の生い立ちについてどれだけ知っていたのか、良く覚えていません。後の告白本「蒼い時」の衝撃が強烈すぎて、記憶が混乱しています。しかし、私生児というゴシップの存在を知っていたのは確かで。
彼女の音楽プロデューサーである酒井政利さんは、南沙織さんがスキャンダルの渦中にあるとき「純潔」なんて曲を歌わせた人。ゴシップを逆手に取るのはお手の物のような。

ともかくも、「横須賀ストーリー」は歌謡曲史上、最も偉大な歌の一つと、マジに思います。

それからは、「山口百恵」は大好きな歌手の一人になりました。
歌番組で、淳子さんのときに聴き辛くてヴォリュームを絞って、百恵さんで戻す…みたいな、淳子ファンの風上にも置けないことしたり。

ただ、その頃の私は、淳子ファンだと周囲の誰しもに知られていたため、「百恵ちゃんを好き」とはとても言えなかった。
当時、それは例えば、巨人と阪神、両方のファンだというくらい、あまりに無節操な感がありました。しかも、平岡正明みたいな文化人が妙に彼女を持ち上げはじめると、ひねくれ盛りの私は、ますます好きとは言えなくなって。

その時分、「隠れ淳子」という言葉がありました。淳子さんが好きなのに公言できなかった人のことです。
そういう意味では、私は「隠れ百恵」だった…のかも知れません(笑
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| 芸能音楽 | 21:57 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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ちょっと追記

「1973年編 その2」をまだまとめきれず、とはいえ、未更新を一週間以上続けたくなかったので、書き溜めていた分を放出。

…しかし、百恵さんに触れるのは、もうちょい先にしたかったなあ。
私にとって彼女は、単に歌手として好きなだけではなく、淳子さんとの関係という点においても、特異な存在なわけで。

予定としては、「淳子と百恵」というカテゴリーをたて、ねっとり、鬱陶しく書いていこうと思っておりますです。

| 雑記 | 22:01 | comments:1 | trackbacks:0 | TOP↑

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アグネス・チャン「ポケットいっぱいの秘密」

肌の皺は増える一方、なのに脳の皺は減るばかり。
せめて、当時の記憶を少しでも呼び覚ますことができたらと、往年のヒット歌謡コンピレーションCD「青春歌年鑑」をレンタルし、このブログ原稿を書くときのBGMにしている。

そして、74年盤、アグネス・チャン「ポケットいっぱいの秘密」が流れたとき…キーボードを打つ手が止まり、呆然と聞き入ってしまった。
もちろん、歌番組で十分おなじみの曲だったけれど、録音されたものをきちんと聴くのは、多分初めてで。

いやぁ、演奏、アレンジが本当にすごい。
基本はディキシー風味のC&W。でも間奏のピアノはセカンドラインだったりと、遊びもたっぷり。ベースがまた素晴らしい。もう、うねるうねる。
アグネスさんの歌唱も、いいフィーリング。ちゃんと言葉を判って歌ってるなぁ(笑

試聴はtowerでできます。

ネットで調べてみると(いい時代だ!)、編曲&演奏がキャラメル・ママ時代のティン・パン・アレー。おお!…となると、ベースは細野さんだろう。納得。
しかも作詞は松本隆…ということは、ある意味、はっぴいえんど+松任谷正隆と言えなくもない(笑

正直言って、70年代のアイドル歌謡は、時代を超えるほどのパワーのある曲はそう多くないと思ってるけれど、これは、最高レベルのジャパニーズポップスと言っていい気がする。

74年にこれほどの完成度…まことに感服しきり。あなどれないなぁ。

| 芸能音楽 | 03:06 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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オークション

また場繋ぎ的な更新になってしまいました。

ところで、74年以前の資料はもともと持っていなかったので、ネットオークションを利用したりしてるのですが…
しかし、淳子さん関係だと相場が妙に高くなるような?
芸能雑誌の同じ号でも、商品タイトルに彼女の名前があるとないでは、落札価格が違ってくる印象があります。

まあ、数名熱心な人がいるだけでえらいことになっちゃう性質のものだから、それで彼女の人気が今でも高いなどと思ったりはしませんけど、未だに彼女から逃れられない同志がそれなりにいるのだなぁと、シンパシーは感じますね(笑

…なかなか落札できなくなるのは困りものですけど(泣

| 雑記 | 03:13 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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アンイージーリスニング

だいたい、月1ペースでライブハウスに行きます。
この金曜の夜は、高円寺ジロキチに行ってまいりました。

「魅惑のイージーリスニング」というギグ。
仙波師匠がバンマスで、他に坂田明、白井良明、ポンタにバカボン…
この面子が一筋縄で行くわけがありません。

オープニング、旋律は「オリーブの首飾り」ですが、リズムは「移民の歌」…
後は推して下さい(笑


え?桜田淳子に関係ないじゃないかって?
いやいや、淳子さんがライブで披露した「This Guy's In Love With You」もやりましたし…

…無理くりでどうもすみません。
実に楽しかったので、つい書きたくなって。

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| 芸能音楽 | 04:02 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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コマよさらば

ライブは月1と書きましたが、お芝居は月に2、3回は行きます。
今日は、新宿コマの「愛と青春の宝塚」に行ってきました。

コマは今月いっぱいで閉館。これが最後の演目です。

ここは、淳子さんが最初にアニーをやった劇場であり、再演もシアターアプルですから、文字通り、彼女の最高の舞台となった場所。
その火が、いよいよ消えてしまうのです。

余談ですが、先週はベニサンピットにもお別れをしてきました。

小屋が乱立気味なのは判るんですが、なんでコマやベニサンみたいな文化遺産が、無くならなければならないのでしょう?
…すごく切ないです。

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| 雑記 | 23:58 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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喧嘩農家

前回、演劇好きをつい白状してしまいました。
まあ、たいていは小劇団系のストレート芝居ばかりなんですけど。

表題は、11月頭に新宿シアタートップスで観たタイトルで、「劇団HOBO」の旗揚げ作。高橋由美子さんも参加されていました。

東北で農家を営む、4人の兄と1人の妹。
その妹に婿が来てのあれやこれやと、今のご時世での農家の将来展望のシビアさをユーモアでくるみ、ペーソス滲み出るお芝居でした。

十分に楽しみつつも、途中から私は、由美子さん演じる妹役を淳子さんならどう演じたろう…などと考えながら観てしまっていました。こんなことは初めてです。

このブログを立ち上げてそう日が経ってない時でしたから、常に頭の一部を淳子さんがよぎる状態だったのが、一番大きな原因なのは間違いないですが…

由美子さんはアイドル視されがちな役者だけど、実に見事に小劇団にがっぷり四つに取り組んでいて。
その先入観によるギャップの存在という点において、86年、既に飛ぶ鳥を落とす勢いだったとはいえ、まだ「小劇団の旗手」と言われていた野田秀樹さんの芝居に、世間的にアイドルイメージが強く残る淳子さんが出演したのと相通じるような…と、そんな気にさせられたのです(私は「十二夜」は見ていないのですが)。

さらに…
由美子さんは34歳。あの92年、事実上の引退時点の淳子さんの年齢。
淳子さんは二代目アニーで、由美子さんはその四代目。

さらにさらに、この役が、妙に淳子さんに合ってるように思いました。
夢や理想を追い求め、現実を直視しようとしない兄達に対し、末っ子ながら一家を支えるしっかり者の妹。可愛いのに農作業にも懸命に従事します(「さなえ」な感じw)。霊感がある村の巫女さん(これもポイント)でもあって。

由美子さんは、田舎びた気風のいい感じを好演していらっしゃいましたが、ふがいない兄達に完全にぶち切れるシーンがあって、もしこれが淳子さんだったら、迫力の点では凌駕していたに違いない…なんて思ったり。
無論、色々な意味でありえないのが前提の妄想ですけど。

しかし、トップスのような小さなハコで高橋由美子さんというのは、実に眼福でありました。他の役者も芸達者揃いだし。
「劇団HOBO」は次回も行きたいなぁ。


PS.シアタートップスも来年3月に閉じるそう…

| 芸能音楽 | 03:11 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

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雑記の雑記

「雑記」カテゴリは、たいてい、酔っ払って書いてます。
昨晩(というか今朝)のポストも、へべれけでキーボードの打鍵もおぼつかない状態で書いたもので…
すみません、大幅に書き加えてしまいました。

同様に、12/13分も後でちょっと手を入れてます。「雑記」の方が修正が多いのはこれいかに(苦笑

あと、実は、ここ数日、けっこうな数のアクセスを頂いております。
「コマよさらば」ポストに書いた演目の名称が、検索キーワードになってるんですね。
芝居の内容には一切触れていないのに…

それが少々心苦しく、とはいえ、くだんの文中に追加するのも浮いちゃう感じがするので、追記欄にて感想を。

うーん、今ホットな語句は、迂闊に文中に書けませんね。

| 雑記 | 17:12 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

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アイドルと小劇団

「散歩道楽」の今月のトラム公演、スケジュールが合わず行けなかったのですが、さっきネットの劇評を読んでいたら、出演者の保田圭さんて、元モーニング娘の人だったんですね。へー。
…すみません、最近の芸能人にはとんと疎いです。

しかし、散歩道楽といえば、小劇団界でも中堅どころ…というか、割りと地味な感じ(失礼!)と思うのですが、それにアイドルが客演というのは、素直に驚きです。

丁度ネタ的にかぶったのと、お芝居好きな方もいらしてるのが判ったのとで、ちょっと舞い上がってポストしてみました。

しかし、今の自分にとってアイドルというと、澤田育子さんや内田慈さん、深谷由梨香さんといった名前が真っ先に浮かびます。
…すみません、演劇興味ない人にはとんと判らないですね(苦笑

| 芸能音楽 | 00:24 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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虚構の××

申し訳ありません、また演劇の話です。

さっき観てきたお芝居、登場人物の一人が、カルト教団に心酔したアイドルで…
グサッ!

「『本当のお父さま』が、本当の伴侶を選んで下さる」
グッサーーーー!!

「あんなカルトにひっかかるなんて、よっぽど真面目か、よっぽど寂しかったんだな」
いたいイタイいたい(笑

…今日ほど、このブログを開いていて良かったと思ったことはないです。
「こりゃあ、ネタ的においしいかも」という気持ちを持ち得なかったら、めっちゃ辛かっただろうと思いますね…

| 芸能音楽 | 23:50 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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桜田淳子の存在感 1973年編 その2

「『スター誕生』でおなじみの〝ジュンコ〟です」
これは、月刊明星73年3月号の、桜田淳子の記事の見出しである。

発売は1月だから、デビューの一ヶ月前。
にもかかわらず、芸能誌の読者層から見て、彼女はもう「おなじみ」だったのだ。

その「スター誕生!」の誕生の経緯は、阿久悠の著書「夢を食った男たち」に詳しい。それを読めば、彼や池田文雄ら番組スタッフの並々ならぬ意気込みが伝わってくる。
…しかし、放送開始当初、画面からは、それを感じとることなどとうていできなかった。少なくとも、私には。

ここからしばらく、時系列に沿って、昔の私の感じたままを辿っていきたい。できるだけ、その頃の一視聴者の感覚を共有していただきたいからである。
無論、あくまで私個人のものに過ぎないけれど。


71年10月。秋の番組改変期。
私は、地方の小学四年生。民放テレビは2局しかなく、娯楽系の新番組はとりあえず全部見る。「スター誕生!」はその中の一つにすぎなかった。

公開オーディション番組であることは、特に珍しいとは思わなかった。
既に、同じ日テレ系列で「全日本歌謡選手権」があった。ただ、出演者はセミプロ中心で、厳しさがひしひしと伝わるもの。それに比べスタ誕は、いかにもバラエティ的でゆるい感じなのが違っていた、とは言えた。

審査員は辛口で、年端の行かない少女にもきつい批評をしていたと、今にして語られたりするが、いや、それは観点が違う。スタ誕は、覚悟が足りない若者でも出場できてしまっただけのこと。かなり手厳しいのも時にはあったけれど、「全日本~」の方は褒めることすらめったにない。それに比べれば、全然生ぬるい印象だったのだ。

それはともかく、テレビの前の移り気なガキの一人であった私が、その後もチャンネルを合わせていたのは、ただ、欽ちゃんのコントコーナーが目当てだった。

そして12月、都はるみを達者に唄う、演歌の天才少女が登場する。森田昌子…後の森昌子だ。
私は子供の頃から演歌が苦手だったけれど、例外的に都はるみは好きで、彼女にも好感を持った記憶がある。ただ、演歌を歌うにはあまりに若いということ以外、特に意外性は感じなかった。選曲やパフォーマンスの点では「全日本~」と相違なかったからだ。

しかし、その直後の72年1月、彼女が再登場した第一回決戦大会には衝撃を受ける。スカウティングそのものをイベントにするという、今まで見たことのないシークエンスに対してだ。そこで初めて、「スター誕生!」のオーディション番組としての特殊性を認識したと思う。

そして、わずか13歳の森田昌子が、最もスカウトの注目を集め、グランドチャンピオンに選出。
さらには、その後の彼女のデビューにいたる過程を、番組が逐次紹介する。それは「森田昌子」が「森昌子」になっていくドキュメントと言えた。
その反響だろう、出場者はもともと若者中心だったけれど、中高生がかなりの比率を占めるようになり、平均年齢は一段と下がった。

しかし、72年春に五年生になった私は、さる事情で日曜の午前中が多忙になり、毎週見ることは出来なくなる。

桜田淳子が登場したのは、そんな折りの8月だ。
その秋田大会で伝説の573点をたたき出すのだが、多分、その放送は見ていないと思う。なんとなく見たような気もするのは、その後、ビデオかスチールで何度かプレイバックされたためだろう。
ただ、決戦大会はいつも見ようと思っていたし、次回のそれには、恐らくクラスメートからの情報だろうが、その最高得点記録の娘が登場することは知っていた。

そして、9月の第四回決戦大会。
折りしも、巷では7月にデビューした森昌子が「せんせい」で旋風を巻き起こしていた。スタ誕への注目度もぐっと上がっていた頃だ。

桜田淳子のスカウト番、欽ちゃんの「よろしくお願いします!」の掛け声の後、恐ろしい勢いで林立したプラカード。
その瞬間、欽ちゃんが、会場が、そして、私を含めたテレビの視聴者がどれだけ興奮したか、お判りになるだろうか。

明日の大スターの誕生に、リアルに立ち会ったという実感。今風に言うなら、まさに「祭りだ!」「キターーーー!!」である。

森昌子の大ヒットのさなかの、桜田淳子の25社プラカード、この合わせ技により、風向きが変わった。それは、パンピーのガキの私でもはっきりと感じた。
これからのスターは、こうした視聴者との共有体験によって生まれるという感覚が私に芽生え、それまでのスターシステムが、一挙に前世紀の遺物のように思えた。
決して大げさではなく、本当にパラダイムシフトが起きたのだ。

ただ、それで私が彼女のファンとなったわけではないし、多くの視聴者もそうだろう。
いや、ファンとなったのはむしろ「スター誕生!」に対してだ。そこから新しい人材が次々出てくることは既定のことに思えたし、明日への期待に打ち震えた。
「スター誕生!」こそがスターとなった、と言える。

そして、その後のスタ誕は、可愛い子ちゃんの品評会な様相になっていった…私にはそんなイメージがある。
ただ、それは自信を持って断言できない。ある1回の放送分をまるまる覚えてはいないし、毎週見て定点観測した感覚があるわけでもない。「スタ誕=アイドル量産番組」という後付けの辞書的知識によって、断片的な記憶が都合よく再構成されたものかも知れないのだ。


ここでリアルタイムの印象を離れ、今ある資料を参考に、俯瞰する形で再検証してみたい。

「スター誕生!」の企画会議は71年6月に始まっている。
阿久悠はテレビ時代のスターを、池田文雄は芸能界の覇権を握るナベプロの手垢無しのタレントを、それぞれ求めた。
ところが、スタ誕の放送開始とほぼ時を同じくして、まさに「テレビスター」の模範解答と言える存在が、よりによってナベプロから登場する。「天地真理」である。

これに関して、スタッフの思いはどうだったのだろう?焦りはなかったのか?
いや、少なくとも池田氏は、桜田淳子を見たとき「ようやく天地真理や南沙織な素材が現れた!」と、思ったに違いない。

森昌子が呼び水となって、スタ誕応募者は少女が中心になったが、その中から「可愛い子ちゃん」が登場するのは、本当に、ただの時間の問題だったはずだ。1月の昌子の決算大会から8月の秋田本選まで半年。むしろ、それだけかかってしまったのが不思議なくらいである。
ただ、淳子は、伝統的な青春スターぽい容姿と、森昌子の若さを兼ね備えていたという点では、より理想的だったかも知れない。

阿久悠は、著書で「桜田淳子の出現は、ぼくらが求めているテレビの時代のスター歌手のイメージを決定づける効果があった」と書いている。
しかし、既に「天地真理」という正解が出ていた以上、私は桜田淳子が「スター歌手のイメージを決定」したとは思わない。この文章のキモは「ぼくらが求めている」の箇所だ。

つまり、番組が欲しているのはどういう存在か、彼女は、それを視聴者に訴える絶好のアドバルーンになった。
歌の上手さが第一条件ではないのだ。
そして、多くの少女たちの、現実感のない漠とした夢に道筋を与え、「この番組なら、もしかして私も!」と思わせただろう。

前述したように、私はスタ誕を続けて見られなかったし、桜田淳子個人への関心も薄かったので把握できていないが、昌子同様、デビューまできっちりスタ誕で紹介され続けたはずだし、スターを夢見る同世代の少女たちの話題に、少なからず上っていただろう。
これで「おなじみ」にならないわけがない。

のちに「時代を変えた社会現象」とまで称される「スター誕生!」、その申し子の桜田淳子は、1973年2月25日、満を持してデビューした。
決戦大会から五ヶ月しか経っていないにも関わらず、私は「正式デビューはまだだったのか」と、むしろ意外に思ったことを覚えている。

次回「1973年編その3」では、レコード大賞をからめ、歌謡業界的な観点から述べる。

| メイン記事 | 00:55 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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1973年編その2の補足

次の「その3」で1973年編は終わるはずです。
もともと「その2」で終わらせる予定が、あまりに長くなって分割したんですが、今回分はほとんど71~72年な内容に偏ってしまって、タイトルに偽りありですね(苦笑
次は、一週間以内にアップしたい思ってますが、さて、どうなるか…

百恵さんも、淳子さんに刺激を受けスタ誕に応募した一人だったことは、タイミング的に間違いないと思います。
しかし、第五回決戦大会、百恵さんの時のことは、なぜか記憶にありません。普通に考えれば、あの最も盛り上がってる頃に見逃すはずがなく、不思議だったのですが…

調べてみると、放送日が12/31だったのですね。合点がいきました。
旧家で色々めんどくさいことが多く、大晦日の午前中なんて、のんびりテレビの前でくつろいでいられるわけはなかったですね(笑

| 雑記 | 00:59 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

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桜田淳子の存在感 1973年編 その3

1973年12月31日、レコード大賞放送日。
壇上に並ぶ5人の新人賞受賞者…全員が若い女性だったが、その中でも、場違いと思えるほどにうら若い少女が、最優秀に選出された。
そして、涙ながらに「わたしの青い鳥」を歌うその姿は、年末年始くらいしか歌番組を見ないような人たちにも「桜田淳子」という名を記憶させただろう。

ところで、その年の新人歌手の実績数字について、11/8のポスト「青い鳥の謎」で触れたが、その後に手に入れた資料から、追加で記してみる。

オリコンによる、73年度(72年11月~73年10月、発売日基準)のシングル売上総数は…
アグネス 162万
浅田美代子 73万
桜田淳子 35万
山口百恵 26万

そして、月刊明星74年1月号の「あなたが選ぶ'73新人歌手ベスト10」(11月10日締切)によると…
アグネス  167,154
浅田美代子 127,164
桜田淳子  122,744
山口百恵  105,666
フィンガー5 98,670

やはり、アグネスがダントツだ。

青い鳥の謎」では、74年夏の月刊明星オールスター人気投票の結果をあげ、「アグネスさんが淳子さんのダブルスコア。しかも、もしこれが半年前に実施されたとしたら、この差はもっとあったと推測されます」と書いたが、これを見るとそんなに差はないように見える。
しかしこれは、一回の応募で三名併記という投票方法によるものだ。それでは上位が平準化されてしまうわけで、首位と4万票の差は、相当に大きい。

ところが、レコード大賞最優秀新人賞の得票数では…
桜田淳子 20
浅田美代子 7
アグネス 5
あべ静江 4
安西マリア 1

…私は最近、ようやく知ったのだが、桜田淳子の圧勝である。
当時は淳子ファンではなかった私でも、受賞には違和感を持たなかったくらいに、彼女に存在感があったのは確かだけれど、それにしてもこの票差は……にわかには信じがたい。何か、違う次元のファクターが働いたとしか思えない。

ここからは、いつも以上に話半分に読んで欲しい。芸能ゴシップ的内容だし、論旨のほとんどが推測だからだ。

この1973年春、芸能界を揺るがす事件が起きた。
業界に圧倒的な影響力を誇り「帝国」と呼ばれた渡辺プロダクション…ナベプロと、長く蜜月を保っていたはずの日本テレビ、その両者の関係が、戦争と言っていいほどに悪化した。

直接の原因は、ナベプロが他局と組んで、スタ誕の類似番組を、日テレの看板歌番組「紅白歌のベストテン」と同じ時間にぶつけてきたことによる。
明確に、ナベプロが喧嘩を売ったようなもので、それを、当時の日テレの局次長が買った。
結果、日テレの番組からナベプロのタレントの姿が消えた。

詳しくは、wikipediaの「渡辺プロ事件」をご参照あれ。

そこから、日テレは踏ん張る。
スタ誕で築いたホリプロ等とのパイプを最大限生かす。
ナベプロ抜きでもバラエティ番組で成功できることを証明する。
当然、中三トリオといった自前のタレントも前面に出しまくる。

そして、ナベプロ企画のオーディション番組「あなたならOK」は、散々な成績で半年で終了した。形的には日テレの勝利。

結果として、この事件が、芸能プロダクションとテレビ局の力関係が逆転する端緒となったそうだ。
少なくとも、新たなスターシステムは、ナベプロ主導では成功しなかった。
そして、これからの歌謡界はスタ誕が一つの中心となるだろうという、私などの視聴者の予感は、まさに現実のものとなりつつあった。

こうして、春に勃発した日テレ×ナベプロ戦争は、年末には趨勢が決していた。
そして、勝ち馬に敏な業界人からすれば、レコード大賞という業界最大のイベントにおいて、スタ誕の桜田淳子と、ナベプロのアグネス、どちらに乗るかは自明だったのかも知れない。

さらに付け加えたいことがある。
この一年前、72年のレコード大賞最優秀新人賞は麻丘めぐみだった。
しかし、これには当時批判があったらしい。話題性、売上、歌唱、あらゆる点で森昌子の方が上だったからだ(翌年には売上は逆転するけれど)。
日テレ色が強い森昌子に対し、TBSの意地があったのかも知れないが、さらには、スタ誕制作陣がナベプロ派ではなかったため、意識的に軽んじられた…と見るのは、うがちすぎだろうか。
しかし、この潮流では、それをあがなわないわけにはいかない。

総合すれば、前年の森昌子の落とし前として、また、今後も供給源となり続けるのは確実なスタ誕への目配せとしての20票であり、つまりは「スタ誕」と「中三トリオ」を背負った「最優秀」だったと、私には思える。

レコ大ではなく日本歌謡大賞での話だが、地方ロケでホテルにいたスタ誕スタッフは、その放送中継をテレビで見ていたそうだ。
番組プロデューサーだった金谷勲夫の言を挙げる。
「淳子が新人賞を穫った瞬間は"オォー"と歓声があがったんですが、その後誰も何も言わないんですよ。そっと見ると、僕も涙がボロボロ出ていたんだけど、周りの連中もみんな泣いていて……」
その涙は、ただ単に一人の少女の成功を言祝ぐだけのものではなかっただろう。

こうして桜田淳子は、クーデターめいた造反側の尖兵として、帝国の対抗馬を抑え、この年の新人賞を総なめした。
そのことをあえて扇情的な惹句で綴るなら…「地方出身の15歳の少女が、ナベプロ帝国を覆してしまった」といった感じだろうか。

だからといって、桜田淳子は偉大だったと言う気は、毛頭ない。
彼女がそうなったのはただの巡り合わせだし、運命を引き寄せたことまで本人の力とするような考え方は、私は採らない。

…けれども、山口百恵神格化の反動として彼女を矮小化したり、宗教問題によりそのキャリアを腫れ物とし、なかったことにするのも絶対に間違いである。

15歳という若さで、新人賞レースの覇者。そして、71年に萌芽したアイドル歌手というスタイルの正統的な継承者であり、同時に、花開きつつあるスタ誕時代の旗手。
人気投票やレコード売上を左右する、コアなファン数はそれほど多くなかったにせよ、73年に最も有名な中学生は「桜田淳子」だった…そう言って過言ではないと、私は思う。

桜田淳子のデビューは幸運に恵まれていた…普通に言えばそういうことだろう。
だが、私はそう思っていない。それがもたらした大きすぎる知名度は、何よりも彼女自身を追いつめたのだから。

スタ誕秋田大会がもう半年遅かったなら、確実に別の誰かがその位置にいただろう。そうであっても彼女はスタ誕に応募したはずだし、500点オーバーのような点数ではなくとも合格はしただろうし、デビューが74年中に間にあえば、それなりに人気は博したろう。
そして、スタ誕アイドル路線の二番手、三番手というポジションならば、持ち前の負けん気と向上心が、もう少しきちんと外に向かえたのではないか。結果として、現在の彼女の不在はなかったかも……詮無きことだけれど、そんな風に思えてならないのだ。

妄想をさらにたくましくするなら、役者への転進はもっと早く、二時間ドラマの女王は、片平なぎさではなく桜田淳子になっていた…かも知れない(笑

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1973年編のあとがき

「青い鳥の謎」から続く73年編、ようやく脱稿しました。長かった…
…って、まだデビューした年の、しかも「存在感」という観点に絞って、この有様。先は長いぜ(苦笑
ずっと編年体でやっていくつもりはないのですが、75年は書かないわけにはいかないでしょうね。あと、77年や80年は彼女自身の大きな節目の年だし、どうすべきか…うーん。

しかし、日テレ×ナベプロ戦争ですが、そんなことになっていたとは、当時の私にはまるでわからなかったです(笑
ただ、紅白ベストテンが、いっとき妙に寂しくなって「何だかへんてこりんだなぁ」とか思った記憶があるのですが、それがその時だったかも知れません。

あと、この件でソースを色々とあたってみましたが、情報が妙に錯綜していますね。
例えば、阿久悠の「夢を食った男たち」でも触れられてますけど、時系列があいまいで、この戦争がスタ誕を生んだ…としか読めない書き方となってます。

しかし、事実としては、71年のスタ誕開始時のアシスタントはナベプロのタレントだそうだし、ゲストとしてもナベプロ歌手は何度となく出演していたわけで、73年より前には特に目立った対立はしていないはずなんです。

彼は、業界全体がナベプロ派とアンチ派に二分されていたかのようにも述べてますけど、実際には「ナベプロの顔色を積極的に伺う派」と「もうちょっと好き勝手に作りたい派」程度だったのかも。

ところで、私がスタ誕トリオの印象が当時から強いのは、私の出身地方のテレビ局が日テレ系列だったのが大きいのかも知れません。あの頃の紅白ベストテンでは、誰か一人は必ず出ているといった感じだったかと。
逆に私は、レコード大賞の模様を、実はリアルタイムでは見ていません。私の田舎ではTBSの系列局はなかったので。

そうそう、このポストを、35年後のちょうどこの日にアップしたのは、ただの成り行きです。年内には絶対…と思っただけで、決して意図したものではありません(笑

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ありがとうございました

年内はこれが最後の更新です。
また、しばらく家を離れるため、コメント等頂いてもレスポンスが遅くなると思います。あしからずご了承下さい。

今年は過分なアクセスをいただき、感謝しております。
皆様、ありがとうございました。

来年も宜しくお願いいたします。
よいお年をお迎え下さい。

| 雑記 | 10:26 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

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