あざなえる禍福の黄色いリボン

桜田淳子にまつわる個人的なもろもろを垂れ流すページ

2008年10月 | ARCHIVE-SELECT | 2008年12月

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桜田淳子考察 序論

いきなり大上段に振りかぶってみます。
「桜田淳子」とは、いったい何だったのか?

40歳以上の方ならほとんど「70年代のアイドル歌手の一人」といった認識をお持ちでしょう。30歳以上なら、それを知識としてお持ちの方も多いと思います。
無論それで間違いないのですが、ややこしいことに、「アイドル」はその70年代に意味合いが変貌した言葉です。彼女はその渦中にいて、変化の一翼を担っていたわけで、その単語で片付けてしまうなら、そうなさしめた影響力の部分を見過ごすことになるでしょう。

それに、実際問題、一口にアイドルといっても多種多様、立ち位置は微妙に違っていました。

例えば、当時のアイドル人気を測るバロメータとして、重要度トップ3というと…
・オリコンデータ(チャート&売上)
・月刊明星人気投票
・マルベル堂ブロマイド売上
…と、私は考えていますが、各々に強い相関があるのは当然だけれど、けっこう偏りもあったりします。後の2つがトップレベルなのにチャートではさほどでもなかったり、ブロマイド売上だけが突出していたり。そういった求められ方の差は、各人の違いを如実に反映しているかと思います。

淳子さんに関しても、そういったデータを元に論じていきたいと思いますが、しかし、本人を特徴付ける要素を並び立てるだけでは意味がありません。流行を担う消費文化の一環である以上、それがいかに認知されていたかの方が重要で。
上記のデータやセールスは、積極的な支持者の数の反映に過ぎず、そこには現れない、より多くの人々の感覚といった視点も必要でしょう。

まあ、アイドルはつまるところ個人の好みの問題ですから、一般論にする意味など、実はあまりないと思っています。
しかし、桜田淳子という存在がどう受け止められていたかを、むやみに賞賛するだけではなく、いたずらに貶めるでもなく、冷静に論じたものを見た記憶はほとんどないのです。

その辺りを、このwebで少しずつでも手繰っていければ…などと、大それたことを考えています。
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木之内みどり

前ポストの「桜田淳子考察 序論」で、アイドルの認知され方の多様性について言及しましたが、とびきり極端な例を挙げてみます。

木之内みどり。
最も成功したシングルは78年の「横浜いれぶん」で、オリコン最高位28位、売上8.6万枚。その年の夏に実施された月刊明星人気投票では11位。正直、成績はあまりぱっとしません。



ところが、77年末に実施された、週刊プレイボーイによる人気投票「キミが選ぶPBキュート・ガール」(78/1/10号)において、彼女はなんと、堂々の1位。
(ちなみに、我らが淳子さんは12位w)
まあ、1位といっても4千票に満たないものですが、それにしても他のランキングとのギャップがすごいですね。

組織票?…いえいえ、違うと思います。

ちょうどその頃、私が高一の時、男子クラスメートほぼ全員に、好きな女性アイドルを尋ねたことがあるのです。
25名くらいに聞き取りをして、確か木之内みどりと太田裕美が3票ずつでトップでした。淳子も百恵も、当時旋風を巻き起こしていたピンク・レディーも形無しです。
(ちなみに、女子には百恵さんに好意的な人が多かったと思います)

でも、一番多い回答は「そんなのいない」です。
実はこれが重要なポイントで。

男子高校生である以上、可愛い子への関心は一番ありまくる時期なわけですが、当時の普通の感覚としては、その歳でアイドルのレコードや、ましてや明星などは買ったりしないもの。アイドル好きなんてレッテルは、けっこう恥ずかしいものでした。
時代的にはニューミュージックの台頭時期でもあり、アイドルソングなど、高校生にもなって積極的に聞くものではない、といった感じです。
(それは逆に、アイドルがジャンルとして認識されていた証でもあると思います)

そんな自分らにとって、ニューミュージック的展開をしていた太田裕美と、ヒット曲がないせいか歌番組への露出も乏しく、歌手というよりはピンナップガール的だった木之内みどりが、一番無難な選択肢だったように思うのです。「ビジュアル的には『木之内みどり』がいいね」みたいな、ちょっと斜にかまえた態度ですね。

勿論、みどりさん自身のルックスが大変に魅力的だったのは大前提で。あまり媚びたような感じがなかったのも、受け入れられやすい要因だった気がします。
そうそう、当時彼女が主演したドラマ「刑事犬カール」もけっこう人気ありましたね。

というわけで、もし当時の16歳~20歳くらいの若い男性全員に、強制的に人気投票させることが出来たなら、木之内みどりがぶっちぎりの1位だったかも知れません。
これが形になって現れたのが、冒頭の週プレ投票のように思います。普通の男子高校生からみても、週プレは、明星に比べてぐっと敷居が低い媒体でしたし。

しかし、その点でまさしく人気絶頂だった78年の9月、彼女は不倫騒動を起こし失踪。なしくずしに芸能界から姿を消します。
無論、大変な話題になりましたが、ただ、超人気アイドルの不倫&失踪&引退ワンセット同時だったわけですから、芸能史でも特筆すべきスキャンダルと思えるのですが、騒がれ方としてはそれほどでもなかった印象なのです。翌年の関根恵子の時の方がよほどすごかったような…

その相手である後藤次利との3年後の結婚、しばらくして離婚も、ニュースにはなりましたが、それほど大きくとりあげられはしなかったし、あの竹中直人との再婚にいたっては、割と知らない人も多そうです。

個人的な感想ですが、ライト人気はすごかったけれど、コアなファンの数や芸能界での地位には結びつかなかった彼女の立ち位置を象徴する話かなあ…と、勝手に思っています。

| 芸能音楽 | 00:18 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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青い鳥の謎

ちょっとした謎かけをします。

歌手桜田淳子の、知名度ナンバー1の楽曲と言えば、何と言っても「わたしの青い鳥」なのは間違いないでしょう。
よくデビュー曲と勘違いされますが、実際には三曲目になります。

その後何年たっても、歌手を辞め女優に専念した後でも、インタビューやTVの対談番組などでは、「あの『クッククック』の淳子ちゃんが、こんなに大人の女性に…」と、判で押した様に言われ続けていました。

ところが、この「わたしの青い鳥」は、数字的には大したヒット曲ではありません。オリコンで最高18位に過ぎず、当時のディレクター氏は、その成績に「これでもダメか」と頭を抱えたそうです。
売上でいうと、彼女の最大のヒット曲である「はじめての出来事」の1/3に満たない16万枚。全シングルの上から数えて、なんと17番目となります。

アイドルソングが、知名度とセールスにギャップがあるのはよくあることですが、それにしてもこれは極端でしょう。

謎その1。
なぜ、「わたしの青い鳥」が一番有名なのか?

次に、もしあなたが当時の彼女を記憶していたなら、「エンゼルハット」と呼ばれた白のキャスケットをかぶって「クッククック」と唄う彼女の姿を脳裏に浮かべるかも知れません。

ここで、この前の8月に放送されたドラマ「ヒットメーカー阿久悠物語」で、鈴木愛理という子が桜田淳子を演じた映像をどうぞ。



似ているかどうかはさておき、このビジュアルがまさしく桜田淳子のパブリックイメージなのでしょう。

ところが、これには事実と違う点があります。
実は、彼女はこの帽子で「わたしの青い鳥」を唄ったことはありません。淳子ファンならば常識のことですが、かぶっていたのは二曲目の「天使の初恋」までなのです。

謎その2。
なぜ、ありもしないイメージが共通認識化してしまったのか?

さらに、彼女はこの曲で1973年の日本レコード大賞最優秀新人賞を取っていますが、これもまた不思議なことです。

この年のレコード大賞新人賞各者の対象曲の、売上データ(オリコン調べ)をあげてみます。
浅田美代子「赤い風船」48万枚。
安西マリア「涙の太陽」13万枚。
あべ静江「みずいろの手紙」26万枚。
アグネス・チャン「草原の輝き」45万枚。
特に、アグネス・チャンはデビュー曲の「ひなげしの花」から続けて30万~50万クラスの大ヒットを連発中でした。

次に、74年の月刊明星のオールスター人気投票のデータを。
これは、毎年夏に行われるもので、73年度デビュー組の数字がフルに反映された最初の回と言ってよいでしょう。

女性部門
1山口百恵     100,586
2アグネス・チャン  77,976
3浅田美代子     41,173
4南沙織       41,040
5桜田淳子      34,580

百恵さんがいきなりすごいですね。
上記の新人賞受賞者の中では、アグネスさんが淳子さんのダブルスコア。しかも、もしこれが半年前に実施されたとしたら、この差はもっとあったと推測されます。

というわけで、対象者の中では、売上とアイドル的人気、その両面においてアグネス・チャンが他を圧倒していたのです。

では、淳子さんの最優秀新人賞受賞は、事務所の力によるもの?
彼女はサン・ミュージック。確かに今でこそ業界大手ですが、当時はまだ弱小プロの一つ。一方、アグネスは天下のナベプロで、浅田美代子は老舗の芸映、とても比較になりません。

TV局のバックアップ?
73年の日本歌謡大賞は、NTVの制作番だったので、スタ誕出身の淳子さんがその新人賞を取ったのは不思議ではないかも知れません。しかし、レコード大賞を担うはライバルTBSで、浅田美代子はTBSドラマからのデビュー組。本来なら、これも美代子さんに大きなアドバンテージがあったはず。

客観的に条件を鑑みれば、最優秀新人賞の目はとてもなさそうに思えます。
実際、淳子のマネージャ氏は、普通なら、とりあえず押さえておく受賞後のパーティ会場を用意していなくて、大いにあわてたそうです。

謎その3。
なぜ、最優秀新人賞を受賞できたのか?

ところで、以前書いた通り、私はこの時点ではまだ淳子さんのファンではありません。
それどころか、別に応援する存在があり、彼女が各新人賞を総なめした時は、全く快く思わなかった…というか、正直言って、相当に口汚く罵った記憶があります。
しかし、受賞自体は、特に意外とは思いませんでした。「やっぱりか、ちくしょー」ってな感じです。

つまり、淳子さんは、デビュー当時、セールスやランキングといった数字で現れる以上に、強い存在感を回りに与えていたと言う他ない。
上記の様々な謎は、端的にはこれに起因すると思います。

その存在感の源泉は何か…それは、次回の「桜田淳子論」カテゴリの項に続けます。

| メイン記事 | 04:09 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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フィンガー5

前ポスト「青い鳥の謎」において、73年に私が「別に応援していた存在」とは、5人の若者たちのこと。そう、「フィンガー5」です。

「個人授業」を最初に聴いた時の衝撃は、今でも忘れられません。晃クンのほれぼれするハイトーンボイスに、歌謡曲離れした垢抜けたサウンド。本当に痺れましたねぇ。

それに、晃クンは私と同い年で、親近感もありました。恥ずかしながら、私がファンレターを出した唯一の存在でもあったり。
…淳子さんにも出したことないのに(笑

73年末の音楽賞レースのその時、チャートはフィンガー5が席巻していました。
「個人授業」72万枚。続く「恋のダイヤル6700」84万枚。無論、両方ともオリコン1位。

そんな彼らが新人賞を受賞できないことに、「それじゃ賞なんて意味ないじゃん」などと、私は相当に息巻いていました。
まだ小学生でしたから芸能雑誌など読んでたわけもなく、彼らは「ベイビーブラザース」名義で70年にレコードデビューしていて、そもそも新人ではないことを知らなかったのです(苦笑

そんなに好きだったはずのフィンガー5ですが、翌74年の春以降、関心が薄れていきました。

よく、晃クンの声変わりが彼らの人気衰退の主因と言われますし、事実そうだと思うのですが、私の場合はそれより少し早かった。中学に入学し、自分のラジカセを買ってもらって、音楽を本格的に色々聞き始めたのが大きかった気がします。
彼らはなまじ洋楽の香りが強かったため、逆にイミテーションっぽく感じてしまったような…
当時の私は見識が乏しく了見が狭かった、と言うしかありません。

そして、彼らのことは、ほとんど頭から消えていったのです。

それから、私が大学生の時…確か82年前後だったと思うのですが、その大学の学園祭のトークイベントのゲストとして晃クンが呼ばれたのです。どういう経緯でそうなったのか、まったく判りませんが。

当日は自分の所属するサークルの所用に追われていたのですが、ちょっと時間を割いて、会場に出向きました。離れたところからかいま見る彼の姿は、スピーカーから流れるその声は、何の変哲もない普通のお兄ちゃんのもので。

何となくいたたまれなくなって、足早にその場を離れました。
話の内容は、全然覚えていません。

| 芸能音楽 | 07:43 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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やまがたすみこ

私が、淳子さんに転ぶ直前、好きだった存在をもう一人挙げます。
とはいえ、ご存知ない方も多いでしょう…その「やまがたすみこ」という名を。

私が彼女を知ったのは、74年の中一の時、5才違いの兄を通してでした。
ライブに行ったとかで、その時に友人が撮ったらしいモノクロ写真を、引き延ばしてパネルに飾り、カセットで曲を聴かせてくれました。
その声はとても清らかで美しく、また、その写真の彼女は、ギターを片手に純朴に微笑んで、歌のイメージと寸分変わらないもので。
それは、私をときめかせるに十分な、強烈な印象でした。

兄がダビングしてくれたテープを、それからいったい何度聞いたことか。

歌番組での露出はなく、チャートにも縁がなく、ギターで自作曲を弾き語る彼女を、私はフォークシンガーだと思い込んでいました。フォークの人ならば、TVに出ないのは当時はむしろ当たり前でしたし。

ただそうすると、より深く接するには、ライブに行くかLPを買うしかないわけですが、それは、中学生になったばかりの私にはとても敷居が高いもので。
なにしろ、当時のLPの値段が2200円。平均収入は現在の2/5くらいですから、感覚的には今の5000円以上に相当します。彼女のレコードを持ってる人は周りに誰もいませんでしたし。

そうこうするうちに淳子ファンになり、とてもすみこさんにまで手が回らず、いつしかカセットを聴くこともめったになくなったのですが…

それは確か77年、すみこさんは、ノーブラでシースルーのネグリジェ姿を、週刊プレイボーイのグラビアに写していたのです。
落ち目の芸能人がお色気路線に転進するなんて珍しくもないけれど、彼女にはあまりにもそぐわなくて、大変にショックを受けたことをありありと覚えています。

それから31年。私はまた唖然呆然とさせられました。
すみこさんが、ドラマっぽいセットの中で歌う映像をYouTubeで見つけた時です。何しろ、そんなものがあるなんて夢想だにしていませんでしたし。
(余談ですが、昔の映像をネットで漁るのが、最近の、格好の酒の肴です。このブログを開いたのもその産物だったり)

泡を食ってネットで調べ、今になってようやく知りました。彼女は73年のデビュー当時、TVドラマに出演していたことを(私の田舎では放送していませんでしたが)。
そう、ドラマで顔を売って劇中で歌うのが、当時の「可愛い子ちゃん歌手」売り出しの王道スタイル。天地真理、浅田美代子がその典型で、実はやまがたすみこもそれを踏襲していたのです。

その映像を下に挙げます。曲は、彼女のデビューシングル「風に吹かれていこう」。
是非ご覧になって下さい。



いかがでしょうか?
とても可愛らしくて、歌がうまくて、ギターが弾けて、作詞作曲もできて、そして、何と言ってもこの声質の素晴らしさ!

これだけの天分を持ち、ヒットのお膳立てもされていたと思えるのに、一体なぜ、メジャーになれなかったのでしょう?…どうにも不思議で仕方がありません。

現在の彼女は、井上鑑の奥さんであり、音楽活動は今も続けられているようです。

| 芸能音楽 | 01:59 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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桜田淳子の存在感 1973年編 その1

11/8のポスト「青い鳥の謎」にて、桜田淳子はデビュー当時、数字実績以上に存在感があったことに触れた。
その要因、要素について、この項で論じたい。

まずは、72~73年の彼女の事跡を箇条書きしてみる。

■72年
・7月スター誕生!秋田大会本選にて573点(当時の最高得点)で合格
・9月スター誕生!決戦大会にて25社から指名、第4代グランドチャンピオン
■73年
・2月「天使も夢みる」12位/12万枚(デビュー曲)
・エンゼルハットがちょっとしたブームに
・5月「天使の初恋」27位/7万枚
・8月「わたしの青い鳥」18位/16万枚
・10月よりTV連続ドラマ「てんつくてん」出演(森昌子と共演)
・10月新宿音楽祭銀賞
・11月「花物語」9位/24万枚
・11月日本歌謡大賞新人賞(アグネス・チャンと同時受賞)
・12月レコード大賞最優秀新人賞
・紅白には未選出

たったこれだけから「存在感」について推し量るのは無理がある。それに、実際のところ存在感の尺度など存在しないし、間接的に裏付けできそうな資料も、色々探してはみたものの、そうそう見つからない。
結局は、あくまでも私個人の印象批評に過ぎなくなる。その前提で、以下のご拝読を願う。

桜田淳子の存在感の源泉になったもの、その筆頭に挙げるべきは「若さ」と思う。
ごく当たり前のことと思われるかも知れない。しかし、これこそ最も重要な点だったと考えている。

TVという日常的なメディアの中で若さを売りにするタレント、といった流れで言えば、70年の岡崎友紀18歳、71年に南沙織17歳…ときて、この73年2月に桜田淳子の14歳。しかも、見た目はもっと幼くも見える。
私自身はさらに若い小学生だったから、リアルタイムには実感できていなかったけれど、今、立派に中年オヤジになって、デビュー時の彼女の映像を見ると…「ついにここまで」と、相当数の人々が思ったであろうことは、容易に想像がつく。

とはいえ疑問に思う人も多いだろう。森昌子はこの約半年前のデビュー時点で13歳だし、フィンガー5の妙子は73年に11歳、同年に山口百恵も登場している。淳子が特別に若かったわけではないと。
ただ、昌子は「歌の天才少女」、妙子はグループのマスコット的位置づけで、両者とも、所謂「可愛い子ちゃん歌手」…歌手なのにルックス優先という、ネガティブなニュアンスを含む…の範疇からは外れていたし、百恵は年齢のわりに大人びたイメージで売っていたわけで。

この年のチャートでは、天地真理や麻丘めぐみやアグネスや浅田美代子らには遠く及ばなかった桜田淳子だが、少女性では「若さ」こそアドバンテージ。「可愛い子ちゃん歌手」として一般にイメージされる存在としては、ほぼ引けを取らなかったはずだ。

また、上に付随して挙げたい要素として「表情や仕草」がある。

彼女は歌手時代を通し「わざとらしい」と揶揄され続けた。
特にデビューの頃が一番、ぶりっこな愛嬌を過剰に振りまいていた…のだが、まだその時点では、さほど目くじらを立てられていなかったように思う。
大人層からはむしろ、子供らしい愛くるしさとして、好感を持たれていた感もある。若さをより補強する形になっていたわけだ。

それは、キャッチフレーズである「天使」のような女の子を演じようとする、彼女の旺盛な芝居っ気がもたらしたものと私は思っているが、これに関連して、もう少し述べたい。

阿久悠が、スター誕生秋田大会にて桜田淳子と最初に出会ったときのことは、彼の著作に再三書かれている。
「神がかり的なことを言うようだが、至極平凡な少年少女の輪の中で一人だけ浮き上がって見える、あるいは、淡い蛍光色に光るように思える少女がいた」
「700人からの予選を突破したニ週分十四人の少年少女が県民会館の客席で収録開始を待っていた。<中略>ごくごく普通の中学生たちの緊張のない語らいと書いたが、その通りでありながら、実に見事に背後からの視線を受けとめている少女がいて<中略>彼女は白いベレーをかぶっていた」

いくらなんでも「蛍光色に光る」とは言いすぎな気もするが、それは、桜田淳子自身の自己演出の意識、緊張感に、阿久悠が敏感に反応したものと言えないだろうか。

ただ、この「背後からの視線を受けとめている」というのが具体的にどんなだったか、確かめられる映像は残っていない。
淳子が歌う秋田大会の映像が残っていて、ネットでもアップされているが、それは、阿久悠が立ち会う前の予選会のもの。それを見る限りでは、確かに目立っているけれど、彼が言うほどのものは私には感じ取れない。
まあ、700人の中にいるのと、14人の一人として番組の収録会場にいるのとでは大いに違うだろうから、何とも言えないけれども。

とりあえず、デビュー前から、桜田淳子が人目を引くことに自覚的だったことは恐らく確かで、それは天性の資質と言っていいと思う。

詳述するとどんどん長くなるので、あとの要素は簡単に書く。

「顔立ち」
桜田淳子の顔立ちは、当時のアイドルのメインストリームである天地真理や麻丘めぐみらとは、趣きが違っていたように思う。むしろ、吉永小百合→酒井和歌子→吉沢京子といった、古典的な系譜に近い。
これはかなり重要な点ではないだろうか。
池田文雄、堀威夫、福田時雄といったお歴々を色めき立たせ、芸能マネージメントに携わる上の世代にも「この娘は売れる」という判りやすい訴求力となり、25社プラカードの、最大の原動力になったに違いないと私は思うのだ。

「シンボル」
今、50近い年齢になって嫌でも自覚させられるのだが、歳をとると記憶力がめっきり衰える。強い印象を受けても、脳裏から消え去るのはすぐ。とっかかりとなるもの、シンボリックな何かがあるのとないのでは、定着力が大きく違ってくる。
そして、桜田淳子にはそれがあった。あの「エンゼルハット」と、それに「クッククック」である。
特に「クッククック」の威力は抜群で、その仕草は若さを表象して余りある。
極言すれば、「わたしの青い鳥」という楽曲が流行ったのではなく、「クッククックの仕草」が、お茶の間にもインプリンティングされてしまったのだ。

以上、大人を中心とした一般層に対して、彼女がいかに印象的だったか、そのポイントについて書いてみた。

しかし、その層は、彼女のレコードのターゲットゾーンではないわけで、いくら認知度が高くとも販売には結びつきにくい。
また、高校生大学生の男子からは躊躇われる幼さだっただろうし、私のような彼女の同世代以下にしても、むしろもっと大人びたものを求めがちだった。
結果、「わたしの青い鳥」が実セールスではさほどではなかったのも至極当然に思う。

けれども、彼女の存在感に関して、私を含め当時の若年層にとって、とても大きな要因となったことが他にある。
次回「1973年編 その2」ではその点について述べたい。

| メイン記事 | 07:47 | comments:8 | trackbacks:0 | TOP↑

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ようやく更新

またしばらく更新が滞ってしまいました。すみません。
…さぼってたつもりはなくて、当時の資料を色々と探すのに手間取って。

しかし、明星や平凡、古書店ではすごい値段がついてますね。3000円以上が当たり前な感じ。ヤフオクでもけっこうしますし。
うーん、大宅壮一文庫が日曜も営業してくれればいいのに。
仕方なく、恥を忍んで実家から、残ってた芸能誌をいくつか回収してきました。物持ちのいい家でよかった(苦笑

ブログの文体が入り乱れてます。
「ですます調」だったり、そうでなかったりしますが、前者だと人名を呼び捨てしにくいし、ただでさえ鬱陶しい文章がますます長くなってしまうし、何より、批評めいた内容の時に、微温的で責任回避っぽくなる気がして…
なので、あまり統一することは考えず、臨機応変…というか、ポストごとに適当にやっていきたいと思います。

ハルマッキー様のサイト「桜田淳子イズム」がリンクフリーということで、私の利便性のため、勝手にリンクに追加しました。
精力的な更新、本当に頭が下がりますね。見習いたいです。

| 雑記 | 07:51 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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ビッグショー 明日への序曲

この時期に更新するとなると、触れないわけにはいかない気がするなぁ。
月曜にNHK-BS2でやった、淳子ちゃんの「ビッグショー」。

同じ内容のライブBOXの特典DVDは、覚悟ができて何回か見たし、それでも、気を落ち着けて見通すのは今でもなかなか辛く、BSであえて見る必要もないのだけれど…
でも、やっぱりチャンネルは合わせてしまった。

約30年前、79年2月に放送されたもの。「冬色の街」の時…作曲が中村泰士氏だし、髪型が75年っぽいし、私が勝手に「ゲットバック期」と呼んでる頃。
でも、シングルは過去最低の売上げだった(笑

思い出すなあ。当時はまだ高価で珍しかったビデオデッキを家に持つ友人に頼み込んで、この番組を撮ってもらったこと。
ベータマックスだった。テープは4800円もした。マジで耳から血が出そうな出費で。

その時の彼との会話は今でも覚えてる。

私「しかし、桜田淳子が『ビッグショー』だなんて、おかしいよなぁ…」
彼「え?なんで?」
私「森昌子なら当然。山口百恵でも判らなくもない。でも、彼女は『ビッグ』じゃないだろう」
なんて言ったら、妙に感心されてしまったけれど(苦笑

でも、「ビッグショー」って、功成り名を遂げた歌謡界の大御所のためのワンマンショーという番組でしょ?…そういう「格」みたいなものとは無縁に、アイドルとしてはっちゃけていて欲しいという気持ちも多分にあって。
もう21歳近くだけど、当時でもランちゃんは23まで頑張ったんだし。

だけど「父と娘」かぁ…やっぱりNHKだけあって、無難に品良くまとめちゃってるなぁ。
こういう機会にこそ、他のアイドル達を凌駕していた点である、ステージでの怒濤のエンターテインメント路線を、TVで披露して欲しかったなぁ。
スキャットあたりでほんのちょっと片鱗見せてるだけだし。メイコさんにおいしいトコさらわれてるし。衣装替えすらないし。そもそも、なんで今城さんじゃなかったんだろう。うーん。

しかし、メイコさんの言う通り、緊張してるっぽい。「ビッグショー」の看板重かったんだろうなぁ。
でも、収録終了後にサービスで15分ほど続けたというステージ、見たかったなぁ。緊張が解けて、雰囲気はすこぶる良かったそうだし。

これ、けっこうぐでんぐでんに酔っぱらって書いてるんで、後で読み返すと後悔しそうな気がするなあ。
まあいいや。

PS.読み返してやっぱり後悔したんで、一部変更しました。
「他のアイドル」のところに具体的な名前を書いてしまってたんだけどね(苦笑

| 淳子コラム | 02:44 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

2008年10月 | ARCHIVE-SELECT | 2008年12月

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